アレクセイ・アラクチェーエフとは? わかりやすく解説

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アレクセイ・アラクチェーエフ

(Aleksey Arakcheyev から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:51 UTC 版)

アレクセイ・アンドレーヴィッチ・アラクチェーエフ伯爵ロシア語:Алексе́й Андре́евич Аракче́ев1769年10月4日 - 1834年5月3日)は、帝政ロシア軍人政治家ロシア帝国第2代陸軍大臣陸軍大臣に相当。在任期間、1808年から1810年)。ロシア皇帝アレクサンドル1世の寵臣で、ナポレオン戦争後のアレクサンドル1世が保守反動化すると強大な権勢を振るい「アラクチェーエフ体制アラクチェーエフシチナ)」と呼ばれる一時期を築いた。


  1. ^ 軍事理論家クラウゼヴィッツは同時代人としてのアラクチェーエフを評して、「逞しい精力と狡猾さを兼備した一人のロシア人であった。彼は砲兵長官として皇帝の大きな信頼を得ていたが、彼にとって戦争の指揮はまったく未知のことであった[1]」と評している。
  2. ^ アラクチェーエフは、国家が農民を土地付きで地主から買い上げるという趣旨の草案を皇帝に提出している[3]。歴史家のクリュチェフスキーはこの計画は無意味ではないが、問題解決のためには準備不足だったと考えている
  1. ^ K.v.クラウゼッヴィッツ 『ナポレオンのモスクワ遠征』原書房、1982年、P.18頁。 
  2. ^ 中野京子 『名画で読み解く ロマノフ家12の物語』光文社、2014年、148頁。ISBN 978-4-334-03811-3 
  3. ^ B・O・クリュチェフスキー 『ロシア史講話・5』恒文社、1983年、P.271頁。 


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ロシアの貴族 ピョートル・クロポトキン  ゲオルギー・チチェーリン  アレクセイ・アラクチェーエフ  カール・ミヒャエル・ツー・メクレンブルク  ピョートル・ヴラーンゲリ
ロシア帝国国家評議会議員 アレクサンドル・ドレンテルン  コンスタンチン・ポベドノスツェフ  アレクセイ・アラクチェーエフ  ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキー  バルタザール・カンペンガウゼン
ロシア帝国の将軍 コスチャンティーン・プリソーウシクィイ  フョードル・アルトゥーロヴィチ・ケールレル  アレクセイ・アラクチェーエフ  カール・ミヒャエル・ツー・メクレンブルク  ピョートル・ヴラーンゲリ

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