5代・銭弘俶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 03:14 UTC 版)
銭弘俶の時代には最強の敵である南唐が後周の攻撃を受けて、領土を奪われ弱体化したことで呉越は平穏となる。呉越からも後周の攻撃に乗じて南唐に対して侵攻をかけたが、これは失敗に終わる。960年に宋が誕生し、975年に宋が南唐を攻めると、呉越もこれに参加して南唐への攻撃に加わった。宋の大軍の前に南唐が滅ぶと、宋と直接国境を接するようになった呉越はどうしようもなくなり、978年に銭弘俶は宋へ国を献じて自ら終わりを告げた。銭弘俶は宋から淮海国王に封ぜられて、開封へ移り住み、988年まで安楽に暮らして死去した。 銭弘俶の子孫は宋の皇室や外戚と婚姻を重ねる事で生き残った。
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