2.26事件関連文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:28 UTC 版)
「徳川林政史研究所」の記事における「2.26事件関連文書」の解説
1936年2月の二・二六事件の際に、義親は反乱軍の将校を連絡をとって宮中への参内を仲介しようとしたことから事件後警察の取り調べを受けることになり、また同事件の軍事裁判で法務官を務めた小川関治郎は旧尾張藩士の出身で、事件後しばしば義親邸を訪問し、事件の軍事裁判の情報を伝えていた。この関係から、1939年末から1940年にかけて、小川は2.26事件の裁判関係資料を義親邸に持ち込んで保管を依頼したとされ、1973年現在、資料は未公開のまま徳川林政史研究所に保管されている、とされている。
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