1982-1986: 解散とソロ活動
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アルバム "Für Immer" のリリース後、DAFはいったん解散。ゲアルとデルガド=ロペスはそれぞれ、"Night Full Of Tension"(ロベルト・ゲアル)、英語詞による "Mistress" (ガビ・デルガド=ロペス、1983)などをソロアルバムとして発表する。 ゲアルは、"Night Full Of Tension" で機材を駆使するインストゥルメンタリストの一面に加えて、はじめてヴォーカルを披露するなどしたが、結果できあがったのは、これといって取り立てるところのないシンセポップのアルバムであった。81年のユーリズミックスのアルバム "In The Garden" へのゲアルの参加への見返りとして、ユーリズミックスのアニー・レノックスが参加したこのアルバムは、ミュート・レコードから発表された。 デルガド=ロペスはシーケンサーからしばし離れ、"Mistress" では、ファンクやジャズ色を押し出した。著名なスタジオミュージシャンも多数参加した、6曲収録のこのアルバムはヴァージン・レコードから発表された。
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