17歳の時の1984年オリンピック代表落選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 06:02 UTC 版)
「タブ・ラモス」の記事における「17歳の時の1984年オリンピック代表落選」の解説
1984年の夏季オリンピック代表チームの最後の一員としてラモスが選ばれた。彼はちょうど高校を卒業したところだったが、有望な若手選手として知られていた。ところが、国際オリンピック委員会(IOC)が同年のオリンピックからプロ選手に門戸を開くことを決めた。アメリカ代表チームはホスト国として予選免除を受けていたが、アマチュア選手で構成されたチームであり、なおかつ、そのほとんどは大学生選手であった。IOCの決定により、USSFはチームをプロ選手であるポール・カリジュリ(英語版)を除き、ほぼ解体することに至った。 その後、ラモスは1985年FIFA U-20を3勝2分2敗の地域予選の好成績にも関わらず、本戦行き逃したことに大いに失望したが、さらに1988年のソウルオリンピック本戦での0勝1分2敗の成績にも落胆した。
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