161連敗の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 22:39 UTC 版)
1986年10月に船橋競馬場の佐藤忠一厩舎でデビューしたハクホークインは、その後2つの厩舎を経て浦和の冨田藤男厩舎に移籍し、1988年3月頃から1992年の引退まで在籍した。 冨田厩舎は頑健な馬を集め、多くの出走によって出走手当を確実に稼ぐという経営方針をとっていたため、概して所属馬の成績を見れば、まずとにかく出走回数が非常に多いという傾向があった。また、南関東公営競馬では出走レースを決める格付け制度の基準は総賞金と馬齢の組み合わせであり、勝ちきれないハクホークインでも入着賞金を積み重ねて通算で1725万の総賞金を稼ぎ、最終的な格付けも最下級のC3級ではなくC1級であった。 161連敗はこの様なことが要因となって作り出された記録であり、単なる最弱馬ではなく、頑健な馬が多出走の傾向の厩舎で約4年にわたり無事に走り続けた結果といえる。
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