1562年から19世紀初頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:58 UTC 版)
「クライストチャーチ大聖堂 (ダブリン)」の記事における「1562年から19世紀初頭」の解説
身廊の基礎は泥炭層の上に建てられていたため1562年に滑ってしまい、南側の壁とアーチ構造の石屋根(北側の壁側。壁は現在では明らかに傾いた状態で建っている。大部分は1230年に作られたもの)は倒壊してしまった。一部の修理は行われたものの、多くの瓦礫と化した部分はさら地のままであり、新しい床板は1871年まで再建されなかった。 17世紀にはクライストチャーチのそばの建物で議会と法廷がともに開かれた。ジェームズ2世はその場所での議会開設を統括した。しかしながら、その後議会と法廷はともに別の場所(法廷はフォー・コーツに新しく建てられ、議会は現カレッジ・グリーン (en) にあるチチェスター・ハウス)に移転した。大聖堂は、幾分かの工事は1829年から1831年の間に執り行われたものの、19世紀の大部分において聖パトリック大聖堂と同じく悲惨な管理状態であった。
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