15番歌の解釈について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 09:23 UTC 版)
「仏足跡歌碑」の記事における「15番歌の解釈について」の解説
15番歌に「久須理師」(くすりし)という語が2回出てくるが、僧契沖・山川正宣・井上通泰などはそれを薬師如来像と解釈している。するとこの歌の訳は、「薬師如来の尊像は、世間にあるものも貴いけれど、異国の人が作ったこの薬師如来はなんて貴いものであろうか。」などとなる。 これに対して、最初の「久須理師」を普通の医師と解釈し、後出の「久須理師」を仏足跡ないし釈迦とする説がある(武田祐吉・太田水穂・大井重二郎など)。大井は次の武田の訳をこの歌の名訳と称している。「お医者様は常の方もあるが、珍しいお客様、この世の苦しみを救うお医者様なる、仏の足跡は尊くあります。珍重すべきものでございます。」 前者の解釈によれば、「慕仏跡」の歌の中に、仏足跡ではなく、薬師寺の本尊を称える歌が混在するという不統一さが生じるが、これについて山川正宣は、「この歌は人々が読んでいたものを集めて書き連ねたと思われるので、仏足跡ではなく、ただ薬師如来を称える歌も交ざったのであろう。(趣意)」と述べている。また、薬師寺の本尊は百済国より渡って、祚蓮法師が龍宮の伽藍を模したことなどが古伝にあるが、その15番歌によって、その本尊は明らかに外人が来朝して作ったことが示されることになる。
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