龍興寺 (豊田市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 13:28 UTC 版)
| 龍興寺 | |
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| 所在地 | 愛知県豊田市中町中郷98 | 
| 位置 | 北緯35度02分9.4秒 東経137度06分54.4秒 / 北緯35.035944度 東経137.115111度座標: 北緯35度02分9.4秒 東経137度06分54.4秒 / 北緯35.035944度 東経137.115111度 | 
| 山号 | 鈴木山 | 
| 宗派 | 臨済宗妙心寺派 | 
| 本尊 | 聖観世音菩薩 | 
| 創建年 | 文治5年(1189年) | 
| 開基 | 鈴木重延 | 
| 札所等 | 三河新四国霊場(5・6番) | 
| 法人番号 | 7180305005744 | 
龍興寺(りゅうこうじ)は、愛知県豊田市中町中郷98にある臨済宗妙心寺派の寺院[1]。山号は鈴木山[1]。本尊は聖観世音菩薩[1]。三河新四国霊場第5番・第6番札所。
歴史
創建
開基は三河鈴木氏の祖である鈴木重善(善阿弥)の子の鈴木重延[2]。文治5年(1189年)、奥州の源義経の元に向かう際に三河国矢作里で足の病を発症した[2]。重延はこの地で義経の討死を聞くと、高橋荘の猿投社に身を隠し、さらに碧海郡竹村で義経を弔うために精舎一宇を建立した[3]。これが後の龍興寺である[2]。建仁元年(1202年)には竹村に八幡神社を創建している[2]。この頃には竹村に光恩寺も開創されている[3]。
中世
室町時代には大徳寺の大慈恵光禅師が来住して臨済宗の寺院となった[2]。弘治2年(1556年)、尾張国熱田の龍珠寺の南溟によって再興された[2][4]。
近世
享保13年(1728年)、近藤元忠によって本堂が再建された[1]。文化13年(1816年)、逸堂和尚によって本堂と庫裏が再建された[1]。
境内
- 本堂
 - 山門
 - 鐘楼
 
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    山門
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    鐘楼
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    梵鐘
 
現地情報
- 所在地
 
- アクセス
 
脚注
参考文献
- 『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』平凡社、1981年
 - 豊田市文化財保護審議会『豊田の史跡と文化財』豊田市教育委員会、1985年
 - 豊田市教育委員会、豊田市史編さん専門委員会『豊田市史 人物編』豊田市、1987年
 
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