黄大痴とは? わかりやすく解説

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黄大癡

元代文人画家元末四大家一人江蘇省生。幼名は陸堅、字は子久、大癡は号、別号に一峯。初め役人となったが、のち官を棄て松江売卜生活を行った帰省してのちは全真教帰依し蘇州三教堂を建て、晩年西湖の筲箕泉、富春山に隠棲した。諸学諸芸通じ詞曲笛も得意とした。董源巨然宗とする山水画には、筆勢雄偉浅絳山水水墨による筆意簡遠なものの二種があった。至正14年(1354)歿、86才。

黄公望

(黄大痴 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 04:16 UTC 版)

黄公望

黄 公望(こう こうぼう、咸淳5年8月15日1269年9月12日) - 至正14年10月25日1354年11月10日))は、末の水墨画家。倪瓚呉鎮王蒙と並び「元末四大家」と賞され、その中でも、もっとも広い画風をもち、後代に与えた影響も一番大きいと言われる[1]。あるいは董其昌陳継儒・王思任・楊龍友・倪瓚・王時敏・夏雲鼎・孔尚任などとあわせて「金陵九子」とも呼ばれた。

略歴

南宋の咸淳5年(1269年)、蘇州常熟県に生まれる。両親が早世したため、温州永嘉県の黄家に養子に出され、黄家で十分な教育を受け育つ。

黄公望は才能はあったが、元代は士大夫の登竜門であった科挙が不定期にしか実施されず、行われたとしても旧南宋領域の住人(いわゆる「南人」)には著しく不利であったため長らく官に就けず、40歳を過ぎて初めて蘇州の属吏となるも、程なく黄公望自身は無関係の徴税不正事件に連座して失職し、官界での前途を断たれた。

その後黄公望は官途に就こうとせず占い師・戯曲家・道士などの遍歴を重ねるが、この間、趙孟頫の知遇を得て絵画を志し、50歳を過ぎて本格的な画家活動に入り「九峰雪霽図」などを世に送り出した。

79歳の頃、杭州富陽県に移住、この地で描かれた「富春山居図」は水墨画の代表的な傑作として知られている。

脚注

  1. ^ 発行人・児山敬一『人物学習辞典2巻 オハ~サト』昭和61年、312頁。


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