鹿児島市立南方小学校とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鹿児島市立南方小学校の意味・解説 

鹿児島市立南方小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/16 08:55 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
鹿児島市立南方小学校
過去の名称 南方尋常小学校
南方尋常高等小学校
南方国民学校
郡山村立南方小学校
郡山町立南方小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 鹿児島市
併合学校 東俣小学校
厚地小学校
設立年月日 1892年明治25年)
共学・別学 男女共学
所在地 891-1103
鹿児島県鹿児島市川田町1415番地

北緯31度40分40.2秒 東経130度30分20.4秒 / 北緯31.677833度 東経130.505667度 / 31.677833; 130.505667座標: 北緯31度40分40.2秒 東経130度30分20.4秒 / 北緯31.677833度 東経130.505667度 / 31.677833; 130.505667
外部リンク 公式サイト
プロジェクト:学校/小学校テンプレート
テンプレートを表示

鹿児島市立南方小学校(かごしましりつ みなみかたしょうがっこう)は、鹿児島県鹿児島市川田町にある公立小学校

沿革

  • 1879年明治12年) - 東俣小学校及び厚地小学校が設置される[1]
  • 1892年明治25年) - 東俣小学校及び厚地小学校を統合し、南方尋常小学校として設置される[1]
  • 1919年大正8年) - 児童数増加に伴い、南方小学校から厚地に小学校を分割設置することについてに反対する生徒による同盟休校(ストライキ)が行われる[2]
    郡山村が厚地に小学校を設置し、南方小学校の区域を分割する方針で押し進めた結果、分割に反対する東俣の住民は郡山村より東俣を分離して当時隣接していた伊敷村に編入するべく、鹿児島県に分村の申請をするまでの事態に発展したが、県によって申請は却下された[3]。(詳細は「花尾町 (鹿児島市)#学校を巡る対立と花尾小学校」を参照)
  • 1920年大正9年) - 児童数増加に伴い、花尾尋常小学校(現在の鹿児島市立花尾小学校)が分離[4]。同時に南方尋常小学校も現在地に移転[2]
  • 1922年大正11年) - 高等科を併置したのに伴い、南方尋常高等小学校に改称[2]
  • 1941年(昭和16年) - 国民学校令が施行されたのに伴い、南方国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年) - 郡山村立南方小学校と改称。
  • 1956年(昭和31年) - 郡山村が町制施行し郡山町となったのに伴い、郡山町立南方小学校と改称。
  • 2004年(平成16年) - 郡山町が鹿児島市に編入されたのに伴い、鹿児島市立南方小学校と改称。

通学区域

南方小学校の通学区域には以下の町丁の区域が指定されている[5]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 郡山郷土史 p.110
  2. ^ a b c 郡山郷土史 p.112
  3. ^ 郡山郷土史 p.690
  4. ^ 郡山郷土史 p.693
  5. ^ 小・中学校の校区表 - 鹿児島市 2012年2月7日閲覧。

参考文献

  • 郡山郷土史編纂委員会『郡山郷土史』鹿児島市教育委員会、2006年。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鹿児島市立南方小学校」の関連用語

鹿児島市立南方小学校のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鹿児島市立南方小学校のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鹿児島市立南方小学校 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS