鷹飼として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/12 16:21 UTC 版)
斉頼は優れた鷹飼であったことが知られ、高麗から渡来した鷹匠・兼光(出身地・名には異説あり)より継承したとされるその秘技は「呉竹流」あるいは「政頼流」などと呼ばれ、後の諏訪流とその諸派に伝承された。 鎌倉時代初期に編纂された説話集『古事談』には、当時の風潮から殺生に対し批判的な表現が書き加えられながらも終生鷹を飼う事を生業とし盲目となった晩年にも撫でるだけで鷹の産地を言い当てたという説話があり、また「斉頼(せいらい)」という言葉が「その道の達人」を指す名詞として流布するなど、伝説的な鷹飼として語り継がれる。こうした斉頼の姿は狂言『政頼』の題材ともなった。
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