鶴田氏とは? わかりやすく解説

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鶴田氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/31 02:01 UTC 版)

鶴田氏(つるだし)は、日本氏族。代表的な一族に下記が挙げられる。

薩摩鶴田氏

経歴

祖は桓武平氏秩父氏で、相模国渋谷荘を領し渋谷氏を名乗った一族。その当主である渋谷重国の長子光重が、渋谷荘を長男の重直に与える一方、次男から六男には薩摩国の領地をそれぞれ分与した。その内の薩摩国鶴田(現:鹿児島県薩摩郡さつま町鶴田)を与えられた四男重茂(重諸とも)が鶴田氏の始まりである。

宝治2年(1248年)、鶴田氏は他の渋谷一族である東郷氏祁答院氏入来院氏高城氏と共に薩摩国へ移住する。しかし、初代の重諸は承久3年(1221年)の承久の乱で既に討ち死にしていたため、薩摩国鶴田へ移住したのは2代重行であった。重行は祁答院の佐志(現:さつま町宮之城地区)へ館を築いたが、すぐさま鶴田城を築城しそこを本拠とした。

鶴田氏は他の渋谷一族と同様、守護島津氏に従っていたが、やがて島津氏が総州家奥州家とに分かれて争うようになると、否応なくこれに巻き込まれる。4代重成は奥州家の島津元久についたが、他の四家は総州家の島津伊久についた。応永8年(1401年)、重成が他の四家に討ち負け、本拠を追われて菱刈(現:鹿児島県伊佐市菱刈)へと去った。このため、鶴田氏はたったの四代で没落することとなった。

嫡流は断絶となったが、島津歳久が死んだ際に殉死した鶴田主税や、北郷忠虎臣下の鶴田貞明などもおり、鹿児島衆中、加治木衆中、谷山衆中などにも庶流もしくは別系統と思しき鶴田姓が見え、現在も鹿児島市には子孫がいる。庶流の湯田氏も島津氏の家臣として存続した。

歴代当主

  1. 鶴田重茂(重諸とも。当初は大谷氏)
  2. 鶴田重行
  3. 鶴田頼重
  4. 鶴田重成

系図

※太字は当主、[ ]は、その氏の祖を意味する。光重以下は当初、それぞれ別の氏を名乗っていた。

渋谷重国
 
 
 
渋谷光重
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[相模渋谷氏]
舟木重直
[東郷氏]
早川実重
[祁答院氏]
吉岡重保
[鶴田氏]
大谷重茂1
[入来院氏]
曽司定心
[高城氏]
落合重定
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
重行2 [谷口氏]
為重
重光
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
頼重3 経重 文重 重朝 重頼
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
重成4 重俊
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[湯田氏]
重信

肥前鶴田氏

参考文献




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