鴨を煮て素顔の口に運ぶなり
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季 語 |
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季 節 |
冬 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
この句の所感を、作者は次のように書いている。 「年のはじめに、あと十ヶ月で六十歳になるのだと、自分の生き方のことを頻りに考えるようになった。結局は自然体でありのままで居るしかない、ときめて出来た句なのだが、到底そうはゆかないことがほどなく解った。この句から十年たったとき、自然体なんて格好のよい言葉の上だけの話で、人間の妄執の深さをかえって痛感することになったのだった。」 この境涯感は、私にも痛いほどよくわかる。しかし句自体に即してみれば、ここまで客観化し即物的に書かれると、日常感の諧謔味のようにすら受けとれる。煮た鴨肉をゆっくりと口に運ぶ。ところがその口は「素顔の口」なのだ。口許には、皺や老斑が浮き出ているのかもしれない。さりげない挙措を、ありのままに書きながら、女性なるがゆえに滲み出るものおもい―老いの意識―がそこにある。現実の澁谷氏はなかなかの美人なのだが、美しい人なればこそ老いの自覚には敏感なものである。 この自然体の、乾いた表現の底に、いやその亀裂の底に、まぎれもなく人間の業がのぞいているのだ。 |
評 者 |
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備 考 |
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