高田城址公園の蓮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/23 00:03 UTC 版)
明治初期、戊辰戦争や凶作で悪化した高田藩の財政再建や士族授産のために地元の大地主・保阪貞吉が私財を投じて外堀に蓮を植えさせ、蓮根栽培事業が始められた。その後、蓮根栽培は1962年(昭和37年)で中絶したが、開花時期には毎年「上越蓮まつり」が開催されている。また、蓮研究の第一人者である東京大学農学部教授の大賀一郎が昭和28年に調査に訪れた際に、繁殖域の大きさ、育成の状況を「蓮池の規模の大きいことは世界でもまれで、特に紅白入り交じっているのは珍しい」と激賞した。それを聞いた高田市民が“東洋一”と語り伝えて現在に至る。 そのため、花が咲く時期には多くの見物客やカメラマンが訪れる。
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