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高向大足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 09:12 UTC 版)

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高向大足
時代 飛鳥時代奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上民部少輔
主君 文武天皇元明天皇元正天皇聖武天皇
氏族 高向朝臣
父母 高向麻呂
兄弟 色夫智、大足、人足
不詳
諸足、国人、宿奈万呂
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高向 大足(たかむく の おおたり、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族摂津大夫高向麻呂の子。官位従五位上民部少輔

経歴

文武朝大宝2年(702年越中国越後国の国境を改めるために北陸地方に赴き、神済川(かんわたりかわ、現在の境川)をもって境界とし、国境鎮護の神を祀るべく越中国城山(現在の富山県下新川郡朝日町)に脇子八幡を祀ったという(脇子八幡宮社伝)。また、大宝3年(703年)には北陸道巡察使として派遣されている(この時の位階従七位上)。

その後、元明朝末の和銅7年(714年春日倉老息長臣足大伴山守大宅大国らとともに正六位下から二階昇進して従五位下叙爵する。元正朝霊亀2年(716年下総守養老4年(720年民部少輔に任ぜられた。神亀元年(724年聖武天皇即位に伴う叙位で従五位上に昇叙している。

官歴

続日本紀』による。

系譜

  • 父:高向麻呂[1]
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:高向諸足[1]
    • 男子:高向国人[1]
    • 男子:高向宿奈万呂[1]

脚注

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  1. ^ a b c d 鈴木真年『百家系図』巻53,高向

参考文献

  • 『続日本紀 1 新日本古典文学大系 12』岩波書店、1989年
  • 『続日本紀 2 新日本古典文学大系 13』岩波書店、1990年
  • 宇治谷孟『続日本紀 全現代語訳(上)』講談社学術文庫、1992年
  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年



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