馬入堂山城とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 馬入堂山城の意味・解説 

馬入堂山城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 07:28 UTC 版)

logo
馬入堂山城
岡山県
馬入山
別名 馬入城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 不明
主な改修者 白神果春
主な城主 白神果春、白神帯刀
廃城年 天正3年(1575年
遺構 本丸、出丸、堀、石塁、土塁
指定文化財 倉敷市史跡文化財
位置 北緯34度39分41.25秒 東経133度41分35.76秒 / 北緯34.6614583度 東経133.6932667度 / 34.6614583; 133.6932667
テンプレートを表示
山頂現景1
山頂現景2
山頂現景3

馬入堂山城(ばにゅうどうざんじょう)は、岡山県倉敷市真備町市場の馬入山にあった日本の城山城)。別名馬場入道山城

概要

馬入堂山城は、別名を馬場入道山城といい、八代の鬼邑山城と並んで市場の馬入山頂にあった城で、築城年や築城者は不明であるが、旧山陽道や河辺の渡しを間近に見下ろし備中の要所を占める城として、かなりの規模のものであったと伝えられている。

永正6年(1509年)、室町幕府第10代将軍足利義稙の命により備中に遣わされた上野信孝に伴ってきた一族の白神果春が、曾能郷近郷を知行してこの城に入り、その嫡子・白神帯刀が、備中兵乱ともいわれた天正年中の内紛沙汰に加わることを避けてこの城を下りるまで、二代六十有余年に亘り居城とした。

その後、この城は再び利用されることは無く廃城となり、城址(馬入山)は、嵯峨野村(市場村)の管理となった。

天正3年(1575年)、小早川隆景率いる毛利軍の鬼身城攻撃にあたり、鬼邑山城に穂井田元清が、また馬入堂山城に宍戸隆家が陣を布いたなどという説があるが、これについては、実際の立地や地形を何ら承知しない後人が史実に絡めて脚色した虚説であるともいわれており、事実は未詳である。

観光的な役割

最寄駅

参考文献

  • 備中府志、備中古城記、備中一乱記、吉備郡史、真備町史、郷土史書、ほか
  • 現存史跡

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「馬入堂山城」の関連用語

馬入堂山城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



馬入堂山城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの馬入堂山城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS