飯倉御厨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 15:27 UTC 版)
「飯倉 (東京都港区)」の記事における「飯倉御厨」の解説
実際の史料に飯倉の名が現れるのは、『吾妻鏡』元暦元年(1184年)5月3日条に源頼朝が伊勢神宮内宮荒木田成長へ飯倉御厨を寄進した記事が最初である。飯倉御厨は建久3年(1192年)8月の『神鳳鈔』にも存在が確認できる。 その後鎌倉時代を通じて史料には現れず、荒木田氏経『内宮引付』所収の寛正5年(1464年)8月9日内宮庁宣に名があるものの、文明元年(1469年)1月26日には飯倉御厨と相模国大庭御厨の代官による押領を太田道真・道灌に訴える書状が収録されている。これ以降史料には登場しない。
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