風間用水と風間圦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 05:31 UTC 版)
『武蔵国郡村誌』の下新井村の項に、同村の北方・飯塚村から南に流れて高曽根村・黒谷村の間に入る「風間堀」について言及がある。1984年当時は「風間用水」と呼ばれるようになっており、「飯塚から南下新井・黒谷・高曽根へと続く」とされている。 天明3年(1783年)の「飯塚村明細書上帳」には、元荒川から用水を引き入れるため、風間と風間新田の2箇所に圦(いり)を普請してある旨がみえ、風間の圦について飯塚・下新井・黒谷・高曽根・野島・孫十郎の6ヶ村、風間新田の圦について末田・飯塚の2ヶ村の組合とされている。 一 村国村治郎兵衛裏より風間圦前迄堀長三百八拾三間一 風間(圦)尻より往還石橋迄 七拾弐間一 往還石橋より古川堤上口迄 弐百八拾八間一 古川堤上り口石橋より下新井馬洗場石橋迄百五拾弐間一 上曾根土橋より落口迄 六拾四間 〆堀長サ千六拾八間(約1.942km)有之申侯、右之役人者共算ニ当年 ハ〆九百五拾九間当有之、清水右金次当 — 風間堀筋之覚、「清水金之亮家文書」
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