院誉とは? わかりやすく解説

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院誉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/26 06:23 UTC 版)

院誉(いんよ、生没年不詳)は、鎌倉時代末から南北朝時代にかけて、鎌倉を拠点にした院派仏師。淡路法橋カ。三河法橋院恵の子。

略歴

三河法橋の方の院恵の子に生まれる。山本勉は鎌倉弁谷に居住の法橋院光と同一人物とみる[1]

元亨4年(1324年)2月、比丘尼慈仙を願主として鎌倉極楽寺末寺の真言律宗長福寺 (いわき市)の本尊として木造地蔵菩薩坐像(国指定重要文化財)を製作[2]

その2年後の正中3年(1326年)には、北郷領主岩崎隆連を施主、比丘善来を願主として木造薬師如来坐像(福島県指定重要文化財)を製作[3]

正慶元年(1332年)12月、旧鶴岡八幡宮十二坊所蔵の十一面観音菩薩坐像(現、横浜慶珊寺蔵)を製作[4]。。

作風

山本勉は、鎌倉中期・後期に派を超えて東日本の各地で見られる、法衣垂下、遊戯坐、土紋の技法、上げ底式内刳り技法が導入されているとみる。

丹波国分寺院誉

清水眞澄「院派仏師事蹟年表」(『中世彫刻史の研究』有隣堂1989年所収)の、明徳3年(1392年)に地蔵菩薩像(山梨・広教寺蔵)を造立し、翌4年に丹波国分寺地頭職を安堵された院誉は、間隔が空き過ぎていることから、同名の別人とみられる。

参考文献

  • 『中世彫刻史の研究』(清水眞澄、有隣堂、1989年)
  • 『特別展 中世の世界に誘う 仏像 院派仏師の系譜と造像』(横浜市歴史博物館、1995年)
  • 『いわき市の文化財』(2017年、p.20,48)
  • 『鎌倉時代仏師列伝』(山本勉、武笠朗、吉川弘文館、2023年、p.224)

脚注

  1. ^ 『鎌倉時代仏師列伝』(山本勉、武笠朗、吉川弘文館、2023年、p.224)
  2. ^ 『いわき市の文化財』p.20
  3. ^ 『いわき市の文化財』p.48
  4. ^ 『鎌倉時代仏師列伝』(山本勉、武笠朗、吉川弘文館、2023年、p.224)



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