閩江を下る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 08:58 UTC 版)
羅星塔近くでの戦闘が終わった8月25日、フランス艦隊は閩江を下り始めた。 艦隊は最も火力のあるトリオンファンとデュゲイ・トルーアンを先導に、25日・26日に閩江沿いの清朝の河岸砲台を田螺湾、閩安と相次いで砲撃して破壊した。 翌27日・28日には、閩江河口の金牌水路を両岸から守る金牌砲台・長門砲台を攻撃した。金牌砲台は砲撃で沈黙したが、長門砲台はホチキス型機関砲で反撃したため、フランス艦隊は陸戦隊を上陸させて砲台を沈黙させ、デュゲイ・トルーアンの砲撃で破壊された。 こうして福州一帯の清朝の海防施設はことごとく破壊され、残った福建水師の艦船は舟山群島に逃げ出し、戦闘は終わった。フランス艦隊はしばらく閩江河口に止まり、トンキン湾艦隊が合流して正式にフランス極東艦隊を編成した8月29日にようやく閩江河口を離れて、台湾へと移動した。
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