関行男中佐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 03:20 UTC 版)
詳細は「関行男」を参照 大東亜戦争中の1944年に発生したレイテ沖海戦において、神風特別攻撃隊・敷島隊隊長として指揮し、自らもアメリカ艦船に突入し戦死した、特攻隊の戦死者第1号として有名な海軍大尉(戦死後に海軍中佐)関行男も、死後は軍神として畏敬の対象とされた。10月25日の4度目の出撃で、敷島隊1機(一説には2機)が護衛空母セント・ローに突入し撃沈させた。これは一般に関機と言われ、関大尉は戦死した。実際の特攻隊の戦死者第1号は大和隊隊長・久納好孚中尉であるが、「海兵出身者を特攻第1号に」との上層部の意向で、関が特攻第1号として公表された。
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