開催地決定にまつわる騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 18:18 UTC 版)
「コパ・アメリカ2001」の記事における「開催地決定にまつわる騒動」の解説
コロンビアが開催地として決定していたものの、南米サッカー連盟が治安問題を懸念し、3度の会合を開き検討した結果、一旦コロンビアでの開催を中止する決定を発表した。これを受け、ベネズエラが代替開催を名乗り出たものの、最終的に南米サッカー連盟は決定を再度覆し、大会は当初予定通り2001年7月11日からコロンビアで開催されることとなった。これに対し、アルゼンチンサッカー協会が反発、テロリストから選手殺害予告を受けたという理由で、同大会からの撤退を発表した。また、南米サッカー連盟外からの招待国の一つだったカナダが、既に最初の中止発表の時点で選手を所属クラブに戻しており、再度招集することは不可能であるとして同じく撤退を発表していたため、大会開催直前に2カ国の欠員が発生することとなった。そのため、同月6日にコスタリカ、10日にホンジュラスが急遽招待され、両国サッカー協会は参加可能な選手を急遽招集し参加、最後に招待されたホンジュラスに至っては、コロンビア空軍の提供した軍用機で同月13日に到着するという混乱ぶりであった。
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