長野忠次とは? わかりやすく解説

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長野忠次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 07:43 UTC 版)

長野忠次

長野 忠次(ながの ちゅうじ、1873年明治6年)12月30日[1][2] - 1954年昭和29年)12月12日[3])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家実業家貴族院多額納税者議員

経歴

長野濬平の四男として熊本県[注 1]に生まれ、1897年(明治30年)分家する[4]1894年(明治27年)第五高等学校を卒業し、蚕糸業に従事する[4]。合名会社長野製種組主宰、熊本商業会議所特別議員、蚕糸業同業組合中央会、熊本県農会各議員、同県実業団体連合会会長、熊本製糸、九州新聞社各取締役[3]、熊本市信用組合常務理事、熊本県海外協会理事、甲佐玉東重役などを歴任した[4]

1932年(昭和7年)熊本県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1939年(昭和14年)9月28日まで在任した[3]。在任中は研究会に所属した[3]

親族

脚注

注釈

  1. ^ 1943年の住所地は熊本市大江町九品寺。『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』熊本14頁。

出典

  1. ^ 真栄里 1923, 22頁.
  2. ^ 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』熊本14頁。
  3. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 206頁.
  4. ^ a b c d e 人事興信所 1928, ナ150頁.
  5. ^ 『官報』第1727号、昭和7年9月30日。
  6. ^ 近代山鹿の偉人たち014 熊本県蚕糸業の開祖 長野濬平山鹿市教育委員会、平成22年3月
  7. ^ 長野濬平(読み)ながの しゅんぺいコトバンク
  8. ^ “テレビ熊本、熊本の近代養蚕業の開祖・長野濬平ドラマ化”. 産経ニュース. (2015年9月26日). https://www.sankei.com/article/20150926-K5WLB24PFJMXNOE3NO5YYLAFHM/ 2024年9月29日閲覧。 
  9. ^ 長野濬平 - ドラマ詳細データ”. テレビドラマデータベース. 2024年10月14日閲覧。

参考文献




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