鉱山町の発展と衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 06:04 UTC 版)
神岡鉱山の採掘及び精錬加工によって、鉱山町としての神岡町は、隆盛と衰退を共にした。鉱山最盛期である1950年代後半~1960年代前半は、町民が2万7,000人以上に膨れ上がったが、鉱山の合理化と採掘中止に伴い、人口転出が続き、現在は1万1,000人ほどまで減少している。 神岡町にある神岡城は、昭和45年に三井金属鉱業株式会社神岡鉱業所の創業100周年記念として建設されたもので、現在も神岡鉱山の施設・鉱石などが展示、紹介されている。町の各所には、鉱員住宅や集会場、共同浴場などが点在しており、鉱山マニアや廃墟マニアを惹きつけている。
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