金剛頂寺 (岡山県鏡野町)とは? わかりやすく解説

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金剛頂寺 (岡山県鏡野町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 00:02 UTC 版)

金剛頂寺
所在地 岡山県苫田郡鏡野町山城782
位置 北緯35度6分29.5秒 東経133度54分6.4秒 / 北緯35.108194度 東経133.901778度 / 35.108194; 133.901778座標: 北緯35度6分29.5秒 東経133度54分6.4秒 / 北緯35.108194度 東経133.901778度 / 35.108194; 133.901778
山号 蕎麦尾山
宗派 高野山真言宗
本尊 正観世音菩薩
創建年 (伝)大宝三年
開山 (伝)鑑真
開基 (伝)文武天皇空海(弘法大師)
正式名 蕎麦尾山 光明院 金剛頂寺
札所等 美作八十八ヵ所霊場65番 美作観音霊場10番
文化財 金剛頂寺神像(鏡野町指定文化財)
法人番号 7260005006919
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金剛頂寺(こんごうちょうじ)は、岡山県苫田郡鏡野町山城に位置する寺院。山号を蕎麦尾山(そばおざん)と号す。宗派は高野山真言宗本尊正観世音菩薩美作八十八ヵ所霊場第番65番札所である。

本尊真言:おん あろりきゃ そわか

歴史

文武天皇、大宝三年、鑑真和尚の開基の説があるが詳細は不明。度重なる落雷での火事により昭和十四年に現地へ縮小移転したが、元は約七百米ほど東南の山頂にあり一山寺を形成していた。山の稜線が蕎麦の角に似ていることから山号を蕎麦尾山と称す。山上には弘法大師が留錫修法せられたといわれる加持水の閼伽地があり真夏でも涸れることがない。更に七堂伽藍があったといわれ、礎石が現在も多数残っている。

新訂作陽誌によれば、山上の境内を中心に吉井川西岸五百町歩ほどが寺領であったことが記されている。また寺宝には、津山藩森家松平家の両家から祈願所として宛扶持五十石を受けていたことを示す朱印状がある。本尊、聖観世音菩薩は子安観音としても親しまれ、昭和初期までは、遠くは大阪・神戸方面からも参拝者があり、特に八月の十八日の観音様の縁日には賑わいを見せていたが、戦時に中断してしまった。

寺宝

  • 金剛頂寺神像(鏡野町指定文化財)
  • 津山藩主松平家よりの寺領五十石の朱印状

参考文献

  • 正木輝雄、矢吹正則著、矢吹金一郎校訂、作陽古書刊行会編さん編『新訂作陽誌』 1975年
  • 鏡野町文化財保護員会編 『鏡野町の文化財』
  • 岡山県立図書館 電子図書館システム デジタル岡山大百科 郷土情報ネットワーク

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