鄒丹とは? わかりやすく解説

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鄒丹Zou Dan

スウタン

(?~194?)
漁陽太守

漁陽太守

初平四年(一九三)冬、公孫瓚幽州劉虞を殺すと、その従事鮮于輔斉周騎都尉鮮于銀らは復讐企て閻柔推戴して烏桓司馬とし、烏桓・鮮卑族を仲間引き入れて数万軍勢集めた公孫瓚任命されていた漁陽太守鄒丹は、潞県の北でこれと戦ったが、大敗し、鄒丹をはじめ四千人余りが斬られた《公孫瓚伝・後漢書同伝》。

参照閻柔 / 公孫瓚 / 斉周 / 鮮于銀 / 鮮于輔 / 劉虞 / 漁陽郡 / 幽州 / 潞県 / 護烏桓司馬烏桓司馬) / 騎都尉 / 従事 / 太守 / 牧 / 烏桓族 / 鮮卑族


鄒丹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 14:08 UTC 版)

鄒 丹(すう たん、生没年不詳[1])は、中国後漢時代末期の人物。

事績

公孫瓚劉虞を殺害すると、劉虞旧臣の鮮于輔らは復讐のため、名声のある閻柔烏桓司馬に推戴し、挙兵する。

公孫瓚配下で漁陽太守の官にあった鄒丹は、潞県の北で閻柔らの軍勢と交戦するが、敗北を喫し、斬殺された。

羅貫中の小説『三国志演義』には登場しない。

出典

脚注

  1. ^ 没年は不明だが、『後漢書』献帝紀によると、劉虞の死が初平4年(193年)10月のためそれ以降。また『後漢書』公孫瓚伝では、鄒丹の戦死の後に興平2年(195年)の記述が始まるためその中間、興平元年(194年)の可能性が高い。


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