通光と通雄の共通点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/18 07:24 UTC 版)
岡野友彦の指摘、また『久我家文書』によれば通光は晩年の後室である西蓮に所領の大半を譲る措置をしたため、通光没後に一族に所領を巡る内紛が発生した。西蓮の出自が不明なことから、決して出自が高くなく後ろ盾のない後室と所生の子供たちの行く末を案じた可能性がある。通雄が通定に家督を譲ろうとしたことも同様の背景を推察できる。また、源師房以来、村上源氏の中で参議を経ずに権中納言に直任されたのは鎌倉時代末までに通光と通雄だけである。通光は『新古今和歌集』入首歌人中最年少であったし、通雄は村上源氏では通光に続いて2人目の二位中将に任じられている。これらの点から、通光と通雄が特権意識を抱いて所領問題を処理しようとした可能性は捨てきれない。
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