退役とアルゼンチンへの売却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 01:42 UTC 版)
「フェニックス (軽巡洋艦)」の記事における「退役とアルゼンチンへの売却」の解説
1946年(昭和21年)2月28日、フェニックスはフィラデルフィアで退役し、保管艦状態となった。1951年4月、姉妹艦ボイシ (USS Boise, CL-47) と共に、アルゼンチンに売却される。当初、フェニックスはフアン・ペロン大統領により「ディエシシエテ・デ・オクトゥブレ」 (ARA Diecisiete de Octubre) と命名された。つづいてペロンの失脚後に「ヘネラル・ベルグラノ 」(ARA General Belgrano, C-4) と改名され、アルゼンチン海軍で運用された。フォークランド紛争(Guerra de las Malvinas)に参戦中の1982年(昭和57年)5月2日、イギリス海軍のチャーチル級原子力潜水艦 (Churchill class submarines) コンカラー (HMS Conqueror, S48) の魚雷攻撃を受け、左舷艦首と艦尾部分に魚雷が命中する。魚雷命中から間もなく左舷に傾斜し、沈没した。 詳細は「ヘネラル・ベルグラノ (巡洋艦)」および「コンカラー (原子力潜水艦)」を参照
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