近在百姓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:16 UTC 版)
「闘静記」には「近在百姓」2000 名余りが瑞泉寺の下にはせ参じたと記されているが、ここで言う「近在」とは、後に瑞泉寺与力となった「河上(小矢部川上流)」 地方を指すとみられる。河上地方は別に「河上十郷」とも呼ばれているが、これは石黒荘に属する諸郷(院林郷・石黒郷・吉江郷・弘瀬郷・太海郷・山田郷・直海郷・大光寺郷)に山斐郷や高瀬郷などを加えた地域(ほぼ現在の南砺市平野部に相当する)とみられる。 なお、前後の文脈からはこの「近在」には砺波郡の中でも西北部(旧福岡町・現小矢部市一帯)は含まれていないと考えられる。
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