ロシアの農奴制とは? わかりやすく解説

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ロシアの農奴制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 04:37 UTC 版)

ロシアの農奴制(ロシアののうどせい、ロシア語: Крепостное право в России)では、モスクワ大公国の時代から帝政ロシアにかけてつづいたロシア農奴制の特徴と展開について説明する。


注釈

  1. ^ 東ローマ皇帝キプチャク汗をさす称号であった「ツァーリ」を自称するようになったのもイヴァン3世が始まりである。ロシア唯一の君主となったモスクワ大公は、それまでの独立諸公国の君主であった者を貴族としてその支配体制に編入していったが、ここでは、貴族ですら大公の「奴隷」を自称した。栗生沢(2002)p.105
  2. ^ 1粒のライ麦の種からわずか3ないし4粒ほどの収穫しか得られなかったという。土肥(2002)pp.182-183
  3. ^ シベリアに流されたラジーシチェフは、イルクーツク日本からの漂流民大黒屋光太夫と会見している。
  4. ^ しかし、フランス革命とそれにつづくナポレオン戦争のため、ロシアは対仏大同盟に参加し、イギリス陣営にもどることを余儀なくされた。パーヴェル1世自身も、ナポレオン戦争期の1801年に近衛隊のクーデターによって暗殺された。
  5. ^ ニコライ1世に呼び出されたプーシキンは、デカブリストの乱のときに首都にいたらどうしたかと皇帝に尋ねられたのに対し、反徒の仲間に加わっていただろうと正直に答えたが、皇帝はプーシキンの流刑を解いた。土肥(2002)p.219
  6. ^ 農奴の不動産購入権については、あくまでも領主の承諾を前提条件としていた。倉持(1994)p.155
  7. ^ 1851年統計では、領主(貴族所有)農民男子が約1099万人、国有地農民男子が約960万人、御料地(帝室領)農民男子が約127万人、さらに領主の家内奴隷としてはたらく下僕が53万人いた。それぞれ、男性の人口の40.4パーセント、35.3パーセント、4.7パーセント、1.9パーセントを占めた。土肥(1994)pp.190-191
  8. ^ 政府に対して買戻金の返済義務を負ったかつての農奴は「一時的義務負担農民」と呼ばれた。かれらは49年賦を課せられたが、これを支払うことができず、結局1907年に全額廃止されている。岩間他(1979)pp.315-316
  9. ^ プロイセンでは1807年ハインリヒ・フリードリヒ・フォン・シュタインによってなされ、シュタイン失脚後はカール・アウグスト・フォン・ハルデンベルクによって引き継がれた諸改革(「シュタイン・ハルデンベルクの改革」)によって農奴の土地緊縛や経済外的強制は終わりを告げた。それ以後の農業経営は一般にユンカー経営といわれる。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 相田(1975)pp.408-412
  2. ^ a b 栗生沢(2002)pp.104-106
  3. ^ a b 栗生沢(2002)p.110
  4. ^ a b c 栗生沢(2002)pp.116-119
  5. ^ a b c d e f g h i j 『ラルース 図説 世界人物百科III』(2005)pp.247-250
  6. ^ a b c d 栗生沢&土肥(2002)pp.146-150
  7. ^ 土肥(1996)
  8. ^ a b c d e f 土肥(2002)pp.164-167
  9. ^ a b c d 土肥(2002)pp.182-185
  10. ^ a b c d e f g h 土肥(2009)pp.45-46
  11. ^ a b c d e 土肥(1994)pp.76-77
  12. ^ 土肥(2002)pp.188-189
  13. ^ a b c d e f g ウォーラーステイン(1997)pp.202-203
  14. ^ a b 土肥(2002)pp.189-191
  15. ^ a b c d 土肥(1994)pp.83-88
  16. ^ ウォーラーステイン(1997)p.203。原出典はLongworth(1979)
  17. ^ a b c d 『ラルース 図説 世界人物百科II』(2004)pp.422-427
  18. ^ 鳥山(1968)pp.314-316
  19. ^ ウォーラーステイン(1997)pp.167-168。原出典はRegemoter(1971)
  20. ^ a b c 土肥(2002)pp.197-200
  21. ^ a b c 外川「デカブリストの乱」(2004)
  22. ^ 倉持(1994)pp.171-172
  23. ^ 和田(2004)pp.219-220
  24. ^ a b 倉持(1994)pp.174-175
  25. ^ 外川「ニコライ(1世)」(2004)
  26. ^ a b 倉持(2001)pp.154-157
  27. ^ a b c d e f g 鳥山(1968)pp.328-332
  28. ^ 松田(1990)p.45
  29. ^ 鈴木(1994)pp.202-203
  30. ^ a b c 栗生沢(2010)pp.92-94
  31. ^ 土肥(2007)p.211
  32. ^ 中野京子『名画で読み解く ロマノフ家12の物語』光文社、2014年、163頁。ISBN 978-4-334-03811-3 
  33. ^ a b 『世界史を読む事典』(1994)p.117
  34. ^ a b 松田(1990)pp.51-54
  35. ^ ウォーラーステイン(1997)p.163, pp.167-168
  36. ^ ウォーラーステイン(1997)pp.167-168。原出典はCrosby(1965)
  37. ^ a b ウォーラーステイン(1997)pp.203-204


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