輪中の生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 22:48 UTC 版)
輪中では堤防が切れることは死活問題であったため、各輪中では水防組が作られ、水害に備えて準備を怠らなかった。この水防組は明治以降も水害予防組合として存続している。 一般に輪中地域では生死を共にする輪中内での結束力は強かったが、他の輪中とは険悪な仲であった。他の輪中が自分たちの輪中より高くなることは自分たちが水害に遭うことに等しかったからである。自分たちの輪中を水害から守るため隣の輪中堤防を破壊することもあったといわれているが、このような行為は現在で言うところの現住建造物等浸害罪などにあたり当時も厳しく罰せられた。 このような水害から自分の住む輪中を守るためにその中での結束が固くなるが他の輪中の人に対しては冷ややか、という排他性から輪中根性という言葉が生まれた。岐阜県民の県民性を表すときによく使われるが、保守的で猜疑心の強い排他的な自己本位の田舎者といった意味であることが多い。 同一輪中でも上流域と下流域の仲は悪かった。上流で掘った井戸の水が下流部に溜まって悪水と化すからである。その為、同じ輪中でも上流部と下流部のあいだに堤防が築かれたこともあった。 また輪中地域は水害に悩まされた反面、渇水にも悩まされた。これは水害を防ぐため田畑はやや高いところに存在していたためである。そのため、これらの地域では雨乞い踊りなどが伝わっている。
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