赤いナポレオン・ジョゼフ酋長とネ・ペルセ族の逃避行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 02:19 UTC 版)
「ネズ・パース」の記事における「赤いナポレオン・ジョゼフ酋長とネ・ペルセ族の逃避行」の解説
1877年、白人から「ジョゼフ」と呼ばれたヒンマラー・トーヤラケット(「山上を鳴り渡る雷」という意味)酋長は、ラプワイのキャンプで部族民の一派が白人を襲撃したのを知り、その報復を恐れて弟オリクートとともに一族を率い、カナダへの108日間、2700キロに及ぶ絶望的な逃避行を企てた。この逃避行における、彼の勇気と知略に富んだ指導力から、白人達は彼を「赤いナポレオン」と呼ぶようになった。 結果的にジョゼフたち149人は捕らえられ、ワシントン州コルビルの保留地に幽閉された。彼は死ぬまでアイダホへの帰郷を懇願したが、白人はこれを許さなかった。 「私は、インディアンに一ヶ所に留まれと命令する権利を、一体誰が持っているのかと白人の酋長達に聞いた。だが、誰もそれに答えられなかった」とジョゼフ酋長は言葉を残している。 彼は故郷に戻ることなく死去し、白人の医師はカルテに、彼の死因を「傷心による死」と書いた。
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