豊永村とは? わかりやすく解説

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豊永村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 15:24 UTC 版)

とよながそん
豊永村
廃止日 1954年6月1日
廃止理由 新設合併
新見町美穀村石蟹郷村草間村豊永村熊谷村菅生村上市町新見市
現在の自治体 新見市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
阿哲郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,841
国勢調査、1950年)
隣接自治体 丹治部村、熊谷村、草間村、上房郡中井村北房町
豊永村役場
所在地 岡山県阿哲郡豊永村大字佐伏
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豊永村(とよながそん[1] / とよながむら[2])は、岡山県阿哲郡にあった。現在の新見市豊永宇山・豊永佐伏・豊永赤馬にあたる。

地理

吉備高原北西部、高梁川支流・佐伏川の流域に位置していた[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、阿賀郡宇山村、佐伏村、赤馬村が合併して村制施行し、豊永村が発足[1][2]。旧村名を継承した宇山、佐伏、赤馬の3大字を編成[2]
  • 1900年(明治33年)4月1日、郡の統合により阿哲郡に所属[1][2]
    • 同年、煙草耕作組合結成[2]。生産は質量共に県下一であった[2]
  • 1917年(大正6年)豊永郵便局(湯川、3等無集配)開設[2]
  • 1954年(昭和29年)6月1日、阿哲郡新見町、美穀村、石蟹郷村、草間村、熊谷村、菅生村、上市町と合併し、市制施行し新見市を新設して廃止された[1][2]。合併後、新見市豊永町宇山・豊永町佐伏・豊永町赤馬となる[2]

地名の由来

多くの候補があったが、永く豊かな村ということで命名された[2]

産業

  • 農業[2]
  • 産物:葉煙草、野菜[2]

教育

  • 1909年(明治42年)旧村毎にあった簡易小学校を統合し豊永尋常高等小学校(大字佐伏コウロギ)を新築開校[2]。1904年(明治37年)豊永農業補習学校を付設[2]
  • 1947年(昭和22年)豊永中学校開校[2]

名所・旧跡

脚注

  1. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』533頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『角川日本地名大辞典 33 岡山県』778頁。

参考文献

関連項目




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