谷風梶之助 (初代)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 谷風梶之助 (初代)の意味・解説 

谷風梶之助 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/26 17:54 UTC 版)

谷風 梶之助(たにかぜ かじのすけ、1694年元禄7年) - 1736年7月7日元文元年5月29日))は、陸奥国苅田郡宮村(現・宮城県蔵王町)出身の江戸時代大相撲力士。最高位は大関。本名は鈴木善十郎。第4代横綱谷風梶之助仙台の谷風)と区別するため「讃岐の谷風」と称される。

来歴

幼くして父を失った後、17歳で大相撲に入る。讃岐高松藩主松平家のお抱え力士であったため、「讃州相撲」と呼ばれた。1730年享保15年)および1732年(享保17年)の大坂の番付に大関として登場している。柔和で寛仁な性格であったが、八角楯之助が待ったを連発してなかなか立ち合わなかったため平静を失い敗れた有名な話がある。全盛期には9年間無敗という成績を残したことから、物の値段を負けないことを「谷風」と形容することが流行ったという。元文元年5月29日43歳で没。宮城県白石市に墓が残る。

身長は185cmで、体重は154kgであったと伝わる。

関連項目

参考文献





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「谷風梶之助 (初代)」の関連用語

谷風梶之助 (初代)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



谷風梶之助 (初代)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの谷風梶之助 (初代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS