諸仏不動智
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 01:04 UTC 版)
不動とあるが、全く動かないという意ではなく、心は自由に動かし、一つの物、一つの事に少しも心を捉われていないのが、不動智であると説く。不動智を最も体現した不動明王の如く動ければ最良であるとする。 例として、10人が1人ずつ斬りかかって来た時、一太刀を受け流したとして、そのことに心が留まっていれば、即次に対応はできず、10人に対して応じるには、10度心を動かす他ないとする。千手観音にしても千本ある手の内、弓を持った一つの手に心が捉われれば、残った999の手は全て役に立たないと説明し、一つに心が捉われていないからこそ、千本全ての手が役に立つとする。木の葉の例をとって、一枚の落ち葉(動くもの)を注視するのではなく、全体を無心で観ることによって、多くの葉を観ることが可能となる話や初めて刀を持った者は(構えなどに対して)心を捉われていないなど、例え話を含む。
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