解散後の八王子千人隊処置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 13:54 UTC 版)
「八王子千人同心」の記事における「解散後の八王子千人隊処置」の解説
慶応4年(1868年)5月15日、太政官布告第四百二十四号により千人頭が士族になる。 7月10日、護境隊頭取3人、秋山喜左衛門・込谷民五郎・丸山惣兵術と隊員48名軍務官付八王子同心として護境隊となる。 明治2年(1869年)11月3日、八王子千人隊の平隊士が卒族となる(大政官布告千百四号)。 明治5年(1872年)3月、八王子千人隊の平隊士が士族とされる。 壬申戸籍が作られる。 明治32年(1899年)公爵徳川家達の口添えにより、壬申戸籍より漏れてしまった八王子千人隊隊士計68名が士族籍に復帰する。
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