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角地孫之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 02:19 UTC 版)

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角地 孫之助(かどち まごのすけ、生没年不詳) は、日本の元アマチュア野球選手。社会人野球の選手として、都市対抗野球大会投手として活躍した人物である。福岡県出身。

来歴・人物

福岡県飯塚町(現:飯塚市)鯰田に生まれた[1]飯塚商業在学中には、投手として同校初の地区予選1930年)に参加した記録が残っている[1]。飯塚商業卒業後、当時の社会人野球で強豪だった日鉄二瀬硬式野球部に入団。その後、同じ福岡県内の名門 ・八幡製鉄に移籍した。

1937年第11回都市対抗野球大会で角地は獅子奮迅の活躍をした。九州予選で、前年度の大会覇者だった門司鉄道局を破って本大会に出場すると、初戦で鷹取工機部(神戸市)に11-1で大勝。2回戦の大津晴嵐(大津市)戦では角地の登板機会は無かったものの、チームは4-3で接戦を制し、準決勝のコロムビア川崎市)戦も6-5の大接戦を勝ち抜いた。そして、8月9日の決勝・東京倶楽部東京市)戦に3-1で勝利し、チームを初優勝に導いた。この大会での活躍が認められ、橋戸賞(最高殊勲選手)に輝いた。翌1938年の大会でも活躍し、ベスト4の成績を残した(準決勝で、全京城〈この大会で準優勝。京城府〉に4-6で敗れた)。

その後、応召され中国に出征。中国で戦病死したと伝わっている(没年月日・死没場所は不明)。

1937年の都市対抗野球大会での活躍は、後に単行本にもなり(参考文献に後述)、フジテレビにて『白球に愛を込めて』としてドラマ化もされた。

脚注

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参考文献

  • 折世凡樹『黒獅子旗に燃えた男たち』 - 1937年の都市対抗野球大会での活躍を描いた著書(1999年、学研マーケティング)[1]

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