要塞都市シュラクサイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:28 UTC 版)
「シュラクサイ包囲戦 (紀元前214年-紀元前212年)」の記事における「要塞都市シュラクサイ」の解説
シュラクサイは第二次ペロポネソス戦争(紀元前415年-紀元前404年)以来、度々包囲戦の舞台となったが、紀元前402年から紀元前397年にかけて、ディオニュシオス1世によって強力な要塞に作り変えられた。西側にあたるエピポライ台地を全長27キロメートルに及ぶ城壁で囲み、決まった間隔で14の塔が築かれた。6つの門が設けられたが、何れも要塞化され、最も西にあるエピポライ門は強力な防御力を持つエウリュアロス城(it)で守られていた。この城は何度も強化されているが、最後の改装はアルキメデスが指揮している。アルキメデスはまた、攻撃兵器としてねじりバネを利用した投石機を開発しているが、80キログラムの石を発射できた。アルキメデスはこれら投石器や大型弩弓を城壁上に効果的に配置した。
※この「要塞都市シュラクサイ」の解説は、「シュラクサイ包囲戦 (紀元前214年-紀元前212年)」の解説の一部です。
「要塞都市シュラクサイ」を含む「シュラクサイ包囲戦 (紀元前214年-紀元前212年)」の記事については、「シュラクサイ包囲戦 (紀元前214年-紀元前212年)」の概要を参照ください。
- 要塞都市シュラクサイのページへのリンク