西義之との論争
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1978年11月開催の中国共産党第11期第3回中央委員会総会を境に、毛沢東時代に迫害を受けた幹部たちの名誉回復と復権が行われ、あわせて文化大革命の実相が明らかにされた。西義之が、文革を支持し擁護した日本の知識人の言行を論評した論文「日本の四人組は何処へ行った-日本文革派文化人銘々伝-」(『諸君!』1981年3、4月号)を執筆すると、高畠は朝日新聞の論壇時評で強く非難した。西は後年、よほど悔しかったのか高畠某なる馬鹿が朝日新聞の論壇時評で悪罵した。いつの時代にも馬鹿がいるものだなと思った、という事はこれからも?、と述懐している ( 『諸君!』1989年6月号)。
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