襄王_(斉)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 襄王_(斉)の意味・解説 

襄王 (斉)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 13:16 UTC 版)

襄王 田法章
第4代王
王朝
在位期間 前283年 - 前265年
姓・諱 田法章
諡号 襄王
生年 不詳
没年 襄王19年(前265年
湣王
后妃 君王后

襄王(じょうおう)は、中国戦国時代君主法章湣王の子。

生涯

湣王40年(紀元前284年)、湣王が淖歯に殺害されると、法章は姓名を変えて莒県の太史敫の家の雇い人になった。太史敫の娘(君王后)は法章の顔を見て、普通の人ではないと思い、衣食の世話をして、男女の仲となった。淖歯が莒県を去ると、莒県の人と斉の亡臣たちは湣王の子を探し求め、法章を立てようとした。法章は殺されるのを恐れて躊躇していたが、意を決して「わたしは湣王の子である」と名乗り出た。このため莒県の人は法章を斉の王に擁立した。これが襄王であった。

襄王5年(紀元前279年)、田単が即墨でを撃破し、襄王を臨淄に迎え入れ、斉の旧領をすべて回復した。

襄王14年(紀元前270年)、に剛寿を攻撃された。

襄王19年(紀元前265年)、死去した。在位19年。

参考文献

  • 史記』田敬仲完世家



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「襄王_(斉)」の関連用語

襄王_(斉)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



襄王_(斉)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの襄王 (斉) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS