蜷川演出版について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 23:34 UTC 版)
「身毒丸 (舞台作品)」の記事における「蜷川演出版について」の解説
当時予定されていた『王女メディア』上演場所の下見のため訪れた蜷川は、パレスチナの人々や風景に強い衝撃を受け、『身毒丸』稽古開始に向けて事前に打ち合わせていた演出プランをすべて白紙に戻してしまった。しかし、稽古場でプランを紡ぎ出していく演出方法がうまく機能し、圧倒的なヴィジュアルイメージを現出させることに成功。以降、蜷川はこの「即興演出」の手法で作品づくりをしている。 『身毒丸』の稽古、上演のために蜷川は初めて彩の国さいたま芸術劇場を利用、これが縁で後に、彩の国シェイクスピア・シリーズの芸術監督、そして(財)埼玉県芸術文化振興財団の芸術監督に就任することになる。また、後にBunkamuraシアターコクーン芸術監督に就任することになる蜷川が、同劇場を使用したのも本作初演が初である。
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