藤森鉄雄とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤森鉄雄の意味・解説 

藤森鉄雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/01 06:36 UTC 版)

ふじもり てつお

藤森 鉄雄
生誕 (1919-07-16) 1919年7月16日
大日本帝国 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市
死没 (2011-11-07) 2011年11月7日(92歳没)
国籍 日本
出身校 東北帝国大学法学部
職業 実業家
テンプレートを表示

藤森 鉄雄(ふじもり てつお、藤森 鐵雄、1919年7月16日[1] - 2011年11月7日)は、日本銀行家第一勧業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)会長、東京商工会議所副会頭、東京メトロポリタンテレビジョン初代代表取締役社長を務めた。

略歴

長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、東北帝国大学(現・東北大学)法学部卒業。戦時中は学徒出陣を経験しており、1945年3月の東京大空襲の際は、当時の陸軍糧秣本廠所属の少尉として部下たちを防空壕に避難させていたが、結果防空壕が満員となり入ることができず、隅田川に飛び込んで一晩をやり過ごした。翌朝になって防空壕に戻ってみると、中の部下たちは全員窒息死しており、結果として九死に一生を得たという[2]

1945年帝国銀行に入行し、戦後の分割により第一銀行に移る。日本勧業銀行との合併で第一勧業銀行(現・みずほ銀行)が発足した後は店舗開発部長などを歴任した。その後常務取締役、専務取締役、副頭取を経て、1982年同行(現・みずほフィナンシャルグループ)会長[3]。1988年相談役[4]東京商工会議所副会頭。1993年東京メトロポリタンテレビジョン初代代表取締役社長。

1992年、勲二等旭日重光章を受章。2011年11月7日、心不全のため死去[1]

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.534
  2. ^ 『大合併 小説第一勧業銀行』(高杉良経済小説全集第7巻、角川書店、1996年)p.182
  3. ^ (株)第一勧業銀行『第一勧業銀行30年の歩み』年表p5
  4. ^ (おくやみ)藤森鉄雄氏が死去 元第一勧業銀行(現みずほFG)会長2011/11/14付日本経済新聞



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  藤森鉄雄のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤森鉄雄」の関連用語

藤森鉄雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤森鉄雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤森鉄雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS