藤原明子 (桓武朝)とは? わかりやすく解説

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藤原明子 (桓武朝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 15:20 UTC 版)

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藤原 明子(ふじわら の あきこ/めいし、生没年不詳)は、奈良時代後期の女官朝臣位階正五位下

生涯

系譜は明らかではないが、記録から桓武朝初期の後宮に出仕していたことが分かる。

天応元年(781年)11月の桓武天皇の大嘗祭の折、無位から従五位下に叙され、延暦5年(786年)正月、正五位下に昇叙している。翌延暦6年(787年)10月、天皇が交野に行幸し、鷹狩りを行った際にも随伴したものと思われ、天皇が藤原継縄の別業を行宮とした折、継縄が百済王氏らを率いて種々の楽を演奏してもてなした際には正五位上を授けられている[1]

その後の記録は残されていない。

官歴

続日本紀』による

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』巻第三十九、桓武天皇 今皇帝 延暦6年10月17日・20日条

参考文献




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