薬師院 (京都市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 薬師院 (京都市)の意味・解説 

薬師院 (京都市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/28 03:21 UTC 版)

薬師院
所在地 京都府京都市中京区釜座通二条上ル大黒町694
位置 北緯35度0分51.5秒 東経135度45分20.0秒 / 北緯35.014306度 東経135.755556度 / 35.014306; 135.755556
山号 医徳山
宗派 黄檗宗
本尊 薬師如来
中興年 元禄元年(1688年
中興 鉄面寂錬禅師
別称 こぬか薬師
札所等 京都十二薬師霊場第9番
通称寺の会(こぬか薬師)
法人番号 7130005002369
テンプレートを表示

薬師院(やくしいん)は、京都市中京区にある黄檗宗寺院山号は医徳山。本尊薬師如来。「こぬか薬師」の通称で知られる。

歴史

延暦元年(782年)、最澄は16歳の時に自ら一刀三礼で薬師如来像7体を彫り上げると、その内の1体を美濃国横倉に医徳堂を設けてそこに安置したという。この医徳堂の薬師如来像が当院の本尊であるという。後に医徳堂から薬師院に名を改めている。

寛喜2年(1230年)に全国的に疫病が流行した際、薬師院の住職の夢枕に「我が前に来れば一切の病苦を取り除こう。来ぬか、来ぬか」と薬師如来のお告げがあったという。以後人々が当院を訪れて祈願すると病気が平癒したことから、当院は「来ぬか薬師」という名で呼ばれるようになったという。

戦国時代に上洛を果たした織田信長により、当院は美濃国から当地に移転されたという。

その後、衰微していたところ元禄元年(1688年)に黄檗宗の鉄面寂錬禅師により再興される。

元治元年(1864年)7月19日に起きた禁門の変と、それによって発生したどんどん焼けにより全焼するが1889年明治22年)に再建された。しかし、境内は大幅に縮小してしまった。

境内

  • 本堂 - 前面は宝形造、後面は切妻造という珍しい建物である。
  • 庫裏

前後の札所

京都十二薬師霊場
8 大超寺 - 9 薬師院 - 10 大福寺
通称寺の会(こぬか薬師)

住所

  • 京都府京都市中京区釜座通二条上ル大黒町694

交通

参考文献

  • 薬師院由来

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  薬師院 (京都市)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「薬師院 (京都市)」の関連用語

薬師院 (京都市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



薬師院 (京都市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの薬師院 (京都市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS