薩摩川内市立滄浪小学校
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薩摩川内市立滄浪小学校 | |
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北緯31度50分27.6秒 東経130度12分14.6秒 / 北緯31.841000度 東経130.204056度座標: 北緯31度50分27.6秒 東経130度12分14.6秒 / 北緯31.841000度 東経130.204056度 | |
過去の名称 | 高江36郷校分校本校 久見崎小学校 滄浪小学校 滄浪簡易科小学校 滄浪尋常小学校 滄浪尋常高等小学校 滄浪国民学校 川内市立滄浪小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 薩摩川内市 |
校訓 | あかるく かしこく たくましく |
設立年月日 | 1876年 |
閉校年月日 | 2012年3月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒895-0132 |
鹿児島県薩摩川内市久見崎町158番地
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外部リンク | 公式サイト |
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薩摩川内市立滄浪小学校(さつませんだいしりつ そうろうしょうがっこう)は、鹿児島県薩摩川内市久見崎町にあった市立小学校。
概要
児童数は2011年時点で16人が在籍していた[1]。 2012年3月に閉校した。
学校名の由来は、中国の文人政治家屈原の詩にちなみ、川内川を中国湖北省を流れる滄浪になぞらえている[2]。
1945年7月30日に空襲によって勤労奉仕で学校に来て犠牲となった児童7人の慰霊と平和学習が行われていたが、閉校に伴い慰霊祭は地元の協議会に引き継がれた。引き継がれた慰霊祭も高齢化を理由に戦後70年目に当たる2015年で最後の開催となった。
歴史
- 1876年(明治9年) - 高江36郷校分校本校として開校
- 1879年(明治12年) - 久見崎小学校と改称
- 1986年(明治19年) - 滄浪簡易科小学校と改称
- 1892年(明治25年) - 滄浪尋常小学校と改称
- 1902年(明治35年) - 滄浪尋常高等小学校と改称
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令施行に伴い、滄浪国民学校と改称
- 1945年(昭和20年) - 戦災で校舎を焼失。勤労奉仕で集まっていた児童7人が犠牲となる。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革により滄浪小学校と改称
- 2004年(平成16年) - 川内市が新設合併し、薩摩川内市となったのに伴い、薩摩川内市立滄浪小学校と改称
- 2012年(平成24年) - 閉校
通学区域
滄浪小学校の通学区域は以下の区域が指定されていた[3]。
進学先中学校
周辺施設
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脚注
関連項目
外部リンク
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