薔薇戦争までのヨーク家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:56 UTC 版)
エドワード3世の五男でヨーク家の始祖エドマンド・オブ・ラングリーには、エドワード・オブ・ノリッジとリチャード・オブ・コニスバラの2人の息子がいた。エドワード・オブ・ノリッジは1402年に公爵位を継承したが、子がないまま1415年10月のアジャンクールの戦いで戦死した。リチャード・オブ・コニスバラは同年6月にサウサンプトンの陰謀事件(英語版)に関わって、国王ヘンリー5世に対する反逆罪で処刑された。だがリチャード・オブ・コニスバラはアン・モーティマーと結婚しており、後継ぎとなるリチャード・プランタジネットがいた。こうしてリチャード・プランタジネットは伯父エドワードのヨーク公領と父リチャードのケンブリッジ伯領を継承する事になった。 さらにアン・モーティマーはリチャード2世の推定相続人であった弟のエドマンドが1425年に死去すると、マーチ伯領を継承した。こうしてリチャード・プランタジネットは父と伯父とマーチ伯の大きな領土を相続した王位継承権者となった。
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