萩藩の言い分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 02:58 UTC 版)
後に萩藩主・毛利吉元が幕府へ提出した願書によると、喜兵衛らが自ら植えた松を切り取ったところに里右衛門と久助が通りかかり、咎めたところ、喜兵衛は自分が植えた松であるといい、里右衛門に従わなかった。すると、里右衛門は持っていた棒で惣右衛門を2度打擲し、3度目を打擲しようとしたところ、棒を取り落としたため、脇差に手をかけた。惣右衛門はその隙に棒を取り逃げた。里右衛門は追いかけたが道を踏み誤り倒れた隙に惣右衛門は逃げ延びた。そこで、里右衛門は戻り、三之允に3箇所傷を負わせたところ、喜兵衛が助けようとし、里右衛門は喜兵衛の首を刎ねた、というように里右衛門が先に手を出したとある。
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