荘氏の養子へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 10:26 UTC 版)
荘氏は「庄」とも書き、備中守護代の家柄であった。早くから守護細川氏の力が衰えていた戦国時代の備中においては、国人衆が尼子氏・大内氏などに分かれて勢力争いをしていた。当初は連携して勢力伸張を図っていた荘氏と三村氏であったが、永禄2年(1559年)に猿掛合戦で干戈を交える。この対立は容易に決着はつかず、三村家親の要請を受けた毛利氏の仲介でようやく和睦に至った。その結果、荘為資あるいはその一党である荘実近(穂井田)の養嗣子として元祐は荘氏に迎えられた。
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