荒木慶大とは? わかりやすく解説

荒木慶大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/17 17:20 UTC 版)

荒木 慶大(あらき よしひろ、1973年11月20日 - )は、元社会人野球選手、元プロボクサー。第49代日本ミドル級王者、元OPBF東洋太平洋ミドル級暫定王者、元WBA世界ミドル級15位、大阪府堺市出身、泉北ボクシングジム所属。

来歴

西日本短期大学附属高等学校野球留学をする。入部した硬式野球部の2学年先輩には新庄剛志が在籍していた[1]。3年時にはプロ野球7球団のドラフトリストに載るも指名を得られず、社会人野球大昭和製紙北海道→ヴィガしらおいを皮切りに、阿部企業大阪ペーシェンスクラブと渡り歩く。

野球引退後、プロボクシングに転向。

1999年5月18日、デビュー戦。小坂達也を2RKOで退けデビューを飾る。

その後、7連勝を記録したが2000年12月16日全日本ミドル級新人王決定戦で川原奈緒樹に6R判定で敗れ、初の敗北を喫する。

2003年7月5日ガオグライ・ゲーンノラシン吉野弘幸らを破り4連勝でランキングは2位まで浮上、満を持して敵地・後楽園ホールにおいて9度防衛の日本ミドル級王者鈴木悟(八王子中屋)に挑戦。大接戦の末に僅差の判定2-1をモノにしてタイトル奪取(泉北ジムにとってもジム創設26年目で初の王者誕生)。

2004年10月18日、ナカムラ・エイジ(大阪帝拳)、保住直孝ヨネクラ)を退け2度の防衛に成功した後、OPBF東洋太平洋ミドル級王者サキオ・ビカに挑戦。10RTKOで敗れ2敗目を喫する。

2005年7月1日、ビカと再戦する予定であったが、ビカの怪我によりOPBF東洋太平洋ミドル級暫定王座決定戦を李勁勲と争い3RTKOで倒し、暫定王座に輝く。

2005年11月22日、正規王者サキオ・ビカとの統一戦を行うも、5RKOで敗れ失冠、暫定王座は正規王座に吸収される形で消滅した。

その後1戦し勝利するも、2007年6月に引退を表明。現在は副業としてSky-A・Sports+で解説を務める傍ら、実家の建築会社社長として働いている。

プロ戦績

19戦 16勝(9KO)3敗

脚注

  1. ^ プロボクシングWBC・S.フライ級タイトルマッチ「川嶋勝重×徳山昌守」 : ニュース”. テレビ東京 地上デジタル7チャンネル. 2016年12月14日閲覧。

関連項目

外部リンク

前王者
鈴木悟
第49代日本ミドル級王者

2003年7月5日 - 2005年1月

次王者
鈴木悟
暫定王座決定戦 対戦者
李勁勲
OPBF東洋太平洋ミドル級暫定王者
2005年7月1日 - 2005年11月22日
次暫定王者
王座統一戦により消滅




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